「人魚川の点景」 詩野うら 著
主人公曰く「きっと学校に近いとかそんな理由」で、近所のゴミだらけの汚い川に放流された稚魚の人魚が、川に捨てられていたフラスコの中に入り込んで成長してしまい抜け出せなくなってしまった。それを見つけてしまった主人公達のもやもやと小さな一歩の話。
犬猫ではなく架空生物の人魚を中心に描くことにより、教誨的な内容にならずにすんだジュブナイル漫画。
人魚自身にとっては救いのない話だが、主人公達の感じた何かの証として、最後にイコンのように鎮座する標本の人魚が美しい。
人魚が死んだ時のもやもやした感情が
標本を作る過程を経て
整理されてゆき、やがてささやかながら行動に移る。
そして後日談的に、主人公二人組は「偽史山人伝」の中で生物研究所のヒトとして登場するのだ。
考え続けて進み続けてほしい。
見て見ないふりは知的怠慢だよね。
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かいぼりをエンターテイメント仕立てに番組化し、専門家という人が、池から出てくる生き物について「これは外来種ですので駆除しなければいけません」「これは在来種ですので保護しなければいけません」とてきぱきと選定してゆく違和感。
楽しみのために魚を釣って、駆除をうそぶいて笑顔で殺す釣り人親子。快楽殺人的なグロテスクさ。
外来種駆除を名目に補助金目当ての漁協。もう一方で外来魚で入漁料を取りつつ架空放流で補助金を横領する漁協。
河川へのニシキゴイの放流事業の裏にある、養殖業者の不良品(!)の買取処分問題。
もう欺瞞にすらなっていない。
そこまで生き物に対し割り切れて羨ましいよね。
じゃあお前はどうなのよ。
相手を非難することでその場から逃れようとする人じゃあないか?
……そうです。
だからこの漫画に惹かれたのかもしれない。
マイボーイ 木村紺 著
木村紺さんの漫画「マイボーイ」は前作「からん」と同様の格闘技を中心とした青春群像劇です。
4巻のボリュームが異様に厚く打ち切りっぽい終わり方でしたが、全体的に上手くまとまっており、最終巻の20話までの間で主題と思われるテーマを丁寧に描き切ってます。
21話から最終話までの3回は、打ち切りが決まったからか駆け足の展開です。
最終話の渋谷の大型ビジョンを見上げ・・・打ち切り感がにじみでているラスト。
Amazonのレビューでは「からん」同様打ち切りかと嘆く方もいます。
続きがあれば私も見たい。
そんな「マイボーイ」を打ち切りの残念漫画にしたくないよという話。
間違いなく4巻完結の傑作です。
木村紺さんといえば優しい絵柄とキレキレのセリフ回しに目が行きがちですが、博識で緻密なプロットを描かれる作家。
「マイボーイ」は青春群像劇で「巨娘」的なノリを出しつつ、「からん」的な格闘技に対する真面目な深掘りと、二つの軸をバランス良く織り込んだボクシング漫画でした。
登場人物も魅力的。
ジムのメンバーや周囲の人達は、いじめ、虐待、育児放棄、破産、離婚、DV、パンチドランカーなどの暗い過去を持ちますが、過去の不幸をふりかざすことなく、明るく生きています。また破産したジムに残ったメンバーが、結束力をつよめていくところも丁寧に描かれています。
トレーナーの少女響も、巨乳中学生というアフタヌーン読者に媚びた造形になってるだけと思いきや、一線級の小学生ボクサーで、成長して巨乳になったことがハンデになり選手を引退したという背景もあり、ただの色物キャラではありません。
そして響が女であること、トレーナーであることが、「マイボーイ」の根幹を表す最も要なこととなっています。
「マイボーイ」の実質のスタートは、新春読み切り「大好き!の 弥太郎君」から(初出が2014年1月発売 good!アフタヌーン#39)。
その2ヶ月後、アフタヌーンでの連載開始が2014年3月発売の5月号から。
連載の流れを見据えた感じで、読み切りには主要メンバーは全員でています。
これを3巻に収録したのは、ちょうど連載で主要メンバーの背景を描き切り、ボクサーになるきっかけの話がでたからでしょう。
皆のボクシングするきっかけを昔の響が作っていた点や、話の展開が弥太郎の狂言回しに頼りすぎている点で、いささか御都合主義的な印象がありましたが、この順番で読むとしっくりきます。
また読み切りから続く弥太郎と華子の関係は最終話で無理なくオチをつけており、今後のチョビと響の関係を予兆させます。
「大好き!の 弥太郎君」と似た展開で1巻のおまけまんがの登場人物が17話で登場のくだりもあります。
マイボーイ 1巻 おまけまんが
マイボーイ 17話
こういう細かいプロットも上手い作家です。伏線を細かく回収します。
またタイトルは、名トレーナーのエディ・タウンゼントさんの言葉からでしょう。
エディ・タウンゼントさんは旧来の体育会系の日本の指導方法を改め、6人の世界王者を育てた名トレーナー。
タイトル以上に、彼のエピソードは「マイボーイ」のテーマとして重要なプロットになってます。
前作「からん」の女子高校生主人公は、本人の自覚の有無は別として、卓越した頭脳と才能をもって部活内の人間関係を支配していたきらいがありました。
柔道への造詣や人間心理の描き方が秀逸で面白い漫画なのですが、そこが少々鼻について。
今作でも第1話の表紙の煽り文句「勝ちたきゃ、言うこと聞きやがれ」のような、人間関係支配系の話かなと思いきやさにあらず。
(ちなみに単行本にはこの煽り文句はありません)
回が進むつれ信頼関係が生まれ
トレーナー > ボクサー
男 > 女
の力関係がイーブンになっていくというプロット。
パンチドランカーの父の再来を防ぎたい。知識はあるが感情を理解できない響
「アタシが勝たせてやったのに」
恩義のある会長のボクシングスタイルに拘るチョビ。響が女であることを理由に
「リングで試合したこともないだろうし」
トレーナーであること、女であること。すれ違いと邂逅。信頼関係の構築。
ボクシングの知識と勝負勘はあるが強気でまだまだ幼い女子中学生と
気弱で優柔不断のハードパンチャーの19歳という二人の設定、丁寧な描写がなしえた傑作だと思います。
「マイボーイ」のネタ元のエディ・タウンゼントさんの有名な言葉
(ジムにおいてあった指導用の竹刀を見て)
「あれ捨ててよ。あれあったらボク教えないよ。牛や馬みたいに叩かなくてもいいの。言いたいこと言えば分かるんだよ」「他の人から学びたいなら、完全に従うことを決心しなくてはならない」
「試合に負けた時、本当の友達が分かります」
「いい彼女を作りなさい」
「ボクは、ハートのラブで教えるの」
を現代風に解釈すると、こんな物語になるんだなあと。
(実際のエディ・タウンゼントはダークな部分もあるけど)
歴史的背景や「あしたのジョー(1967年)」、「サイモン&ガーファンクルのボクサー(1969年)」からの影響で、ほおっておくと暗い昔語りが始まってしまいがちなボクシング漫画。
同時期同誌に連載されていた高橋ツトムさんの「BLACK-BOX」がまさにソレでした。
「マイボーイ」はパワハラ、モラハラ、ジェンダーの問題をさらりと織り交ぜ、軽やかな筆致で描ききった傑作だと思います。
(小次郎の表紙やエピソードはちょっと浮いてる感じですが、重くない読後感でDVの話を描いたのは必要だったと思います。反面服従のイメージから、4人の選手に犬の愛称(チョビ、ポチ、ジロー、タロー)をつけた思うので、小次郎がフッカーで一皮むける話があればパーフェクト。元ネタ繋がりでデンプシーロール?)
コロナの影響でどこにも行けなかったGW、だらだらと漫画を読んだとりとめのない感想でした。
会社行きたくないなー。
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ここまで完成された漫画ですが、正直言うと、続編をWebでお願いしたい漫画の一つです。
アフタヌーンには、山下ユタカさんの「暴虐外道無法地帯ガガガガ」(フロムダスクティルドーンのノリで映像化してほしい)のように連載雑誌変更 ⇒ Web配信 ⇒ Kindle版で最終巻と幸運にも10年かけて走り切った作品もあるのでぜひ。
釣りキチ三平 あえて釣らないということ
CAがマナー講師を始めると、ヘンテコなマナーができると言います。
でも世界は総じて良い方向に向かってると思います。
煙草やゴミへのマナーがそうですね。
現在の尺度で過去を裁こうとは思いませんが、昭和は凄かった。
昭和の電車や飛行機に灰皿があったとかネットで定番ネタです。
漫画にも当然時代性はあって
野外に煙草の吸い殻を埋めるのはセーフでした。
私もボーイスカウトのキャンプでは設営地で穴を掘ってゴミを埋めた記憶があります。
平成になっての釣りキチ三平
令和は地面に直火禁止が主流になりつつあります。
キャンプ場や河川敷でゴミを燃やしたり後かたずけをしない、マナー違反が増えたからですね。
もっとも
どぶろくは昔から違法です。確か弁護士資格所持者だった気がする魚伸さん。咎めるほど野暮でもないですが。
アルコールに関しても色々でてきている昨今、これもいずれネタになるのでしょうか?
国内外来種問題になるのかな?
食用の為移植した外来種は多々あり、色々語りたいことはありますが、今の時代は基本的にアウトです。
長い前話でした。
細かい所で時代性はあるものの、釣りキチ三平は釣りブームをおこした面白い漫画であることは間違いないです。
また時代を超えた自然環境への思いがある釣り漫画です。
昭和53年の「おっぽり沼の緋鮒の巻」
近所のおっぽり沼が地主の意向で埋め立てられそうになります。
三平がおっぽり沼で天然記念物相当の緋鮒を釣ったことで話が急展開。
保護地域になる可能性でてきました。
そのやりとり
おっぽり沼で釣りができなくなることを心配する三平に対して
自身も釣り人である一平じいちゃんは、釣らないという選択肢があることを説きます。
時は移り昭和53年から平成14年の三平。
釣り場として認識されていなかった隠れ蓑池で釣りを終えた後
このような締め方をしています。
釣り人は釣り場を独占しがちですが、すんなり同意する一同。
釣らないことが釣り人の使命
地主も国も漁師も釣り人も信用できなくなり始めた時代の最適解だったのかもしれません。
昭和の三平は「もっと魚をつりたい!!」と最終回では国会にデモをしています。
ちなみ最終回の頃の昭和は、こんな時代でした。
補助金目当てでブラックバスに十字架を背負わせ、小池百合子さんが浅慮な判断をし、釣りを取り巻く環境問題をうやむやにしてしまい今に続きます。
残念なことに矢口高雄さんは鬼籍に入り、令和の釣りキチ三平には会えなくなってしまいました。
釣り人のマナーが咎められたり、漁業利権に振り回されて釣り禁止の場所が増え、無秩序に山や森をソーラーパネルにする所が増える中、令和の三平はどんな答えを出してくれたでしょうか。
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「バーサス魚伸さん」には複雑な思いです。
確かに釣りキチ三平にも釣り勝負は多々ありました。でも釣りキチ三平の本質は勝ち負けを競うところではないでしょうと。
まあスピンオフだし楽しみますが。
コロナの影響で、釣りに行くのも憚れ漫画を読むGWに思うのでした。
Small man Big mouth つまらん男の大口たたき
四季賞への投稿作を雛形に本誌連載になる作品も多く、読者はアマチュアからプロへの羽化の瞬間に立ち会える醍醐味がありました。
私的・内向的な投稿作品や、荒削りだが勢いを感じる投稿作品の作者が、同誌でキャッチーな連載で売れ始めるところを見れることが多々あり、育成番組を楽しむような感覚でも楽しめました。
2005年に発売されたアフタヌーン四季賞CHRONICLEの収録作品を見ると、四季賞後にヒット作を輩出した歴々の受賞者の名前が確認でき、その気分を想像できると思います。
四季賞作品を再読したいニーズは、kindleで四季賞CHRONICLEが読めることや、ヤフオクで四季賞Portableの出品があることから分かる通り、一定数はあると思います。
しかし、林田球さんの1997年の受賞作「ソファーちゃん」のように、アフタヌーン四季賞CHRONICLEやドロヘドロのムック本などに再録され、あたかも作中のソファーちゃんのように再会できる幸運な例はあるものの、90年代の受賞作は再読できる機会も少なく埋もれてしまった受賞作品も多いです。
そんな埋もれた作品と作者へのラブコール。
楠岡大悟さんは1992年に「少年少女」にて四季賞受賞後に、翌年本誌にて「スモールマンビッグマウス」の連載を始めます。
連載と言っても、1話目はスペシャル読み切りとして掲載され(Part1の表記がない)、好評だったため連載が決まったのか2話めからPart2のナンバリング表記がつきました。
スモールマンビッグマウスの1話目は、同じ小学校時代の担任に恨みを持つ郵便局員と恩義を感じている看護師との話。
第2話は職場に内緒で文芸誌に投稿を続ける同僚の話。
第3話は職場に監査がくる話、と郵便局を舞台に繰り広げられるコメディータッチの漫画で、画力も内容もしりあがりに良くなっていった漫画です。
当然、彼も四季賞の先輩受賞者のようにスターダムにのし上がるのだろうと思ってました。
しかし9月登場予定告知があった第4話は掲載されず、その後も誌面で見ることはなくなりました。
第一話の作者近況報告に
公務員は副業が厳禁なので、「本業は漫画家です。公務員は趣味です」と上司にいったら一喝されました
とありました。
作品は全話コメディタッチですが、表紙で「全国30万郵便職員とそのご家族、ならびに郵便を利用されるすべての国民の皆さまへ!」の文言と過激なイラスト、本編では郵便局内裏側のことを赤裸々に描いていること、副業厳禁の話と併せて問題となり、予告のあった4話が掲載されなかった原因かなと思っておりました。
折しも2004年は郵政民営化議論の只中でした。編集部の「万歳!お役所仕事」のキャッチコピーも過激でした。
時が過ぎて2004/11/12付の高知新聞。
「郵便ポストにぬれた吸い殻などを投げ入れ、郵便物を汚したとして、高知署は11日、郵便法違反容疑で高知市中万々の元郵便局職員、楠岡大悟容疑者(35)を逮捕」
「1992年4月、高知中央郵便局に採用され、2000年9月に高知東郵便局に異動。2002年12月に依願退職した当時は郵便課主任として、主に郵便物の仕分けを担当していた」
との記事。
四季賞受賞時が1992年23歳高知県在住、事件時は2004年35歳高知県在住。元郵便局員。PNと同じ容疑者名。辻褄はあってます。
スモールマンビッグマウスの主人公の「コボくんの横にこんな記事でも載ったらどうする?」状態です。
退職時期に関しては、2話目のごあいさつ漫画のコメントに
なんとなく学校へいったり、やめたり、なんとなく就職したり、退職したりと、なんとなく生きてきましたが”これじゃダメだ・・・”と力なく筆をとったのがきっかけでマンガを描くようになりました。
とありましたが、当時郵便局は辞めてなかったのでしょう。
このコメントと2話目の周囲に内緒で文芸誌に投稿している話はリンクしており、味わいのある一番好きな話です。データ入稿なんてない時代!
1992年の四季賞受賞時のコメントは、スモールマンビッグマウスの作風や柱の近況報告からは想像できない生真面目なものでした。
初めて最後までキチンと描き上げた作品で、何かの賞をもらうなんて全くの他人事だと思ってました。自分にこんな幸運が飛び込んでくるとは妙な気分です。一発で終わらないように努力します。
漫画家としてやってゆきたい意思は感じられます。
しかし実際には予告はあれど連載は止まってしまいました。
事件を伝える高知新聞の
郵便局に恨みがあり50回くらいやった
との楠岡大悟さんのコメントと拝見すると、局内で何かがあった気はします。
ただネットもない閉鎖的な時代の中、さらに閉鎖的な田舎の公務員社会で何があったのかは分かりません。
この時代にTwitterでもあれば・・・。
PNを変え、何か創作は続けておられるのでしょうか?
高知県繫がり漫画で、黒咲一人さんの「55歳の地図」が好きです。楠岡さんもその位の御年になられてると思います。
事件の真相や当時の郵便局の様子を作品に昇華した顛末記を読ませて頂きたいなあ。
きっと名作になるに決まってます!